つらい時期こそ少し頑張ってみる[宣公11年秋]
●今つらくないですか?
社会で生きていると、嬉しいことも多いですが、つらいことも同じくらい多いですよね。
今は新型コロナウイルスが流行しています。
少し猛威が収まりつつありますが、これまでの様々な自粛要請の中で、世界のだれもが、固有の事情でつらい思いをしていると思います。
つらい、あるいはしんどい時はどうしても気分が落ち込んだり、気力をなくしたりしがちです。
でも、
そんな時こそ、努力した成果というのはあとあとになって非常に大きな成果として自分自身に返ってくるものなんです。
今回はそんなお話を紹介します!
●時代は紀元前598年(宣公11年)秋
今回のお話は魯の宣公(21代目の国王)の在位11年目の秋に起こったものです。
舞台は魯の国ではなく、中国大陸北西に存在した超大国「晋」の国。
今の時代で言えば、「アメリカ」に当たります。
この時期、晋の北では「赤狄(せきてき)」と呼ばれる遊牧民族が勢力を強めつつありました。
●晋、めちゃめちゃ焦る(;^ω^)
晋はいくら大国といえど、
「やべェ!」
となります。
あれだけ大きいアメリカも、勢力を強める中国に警戒していますよね。
余談ですが、翌年宣公12年には、晋は南方の超大国「楚」と大会戦をします。
この「楚」は、少し古いですが、「旧ソビエト連邦」に当たります。
つまり
晋としては北と南の二方面戦争につながるリスクがありました。
●晋、対策を考える
そこで、晋は赤狄以外の中小の遊牧民族に
「一緒に同盟を結んで対抗せえへん?」
と働きかけます。
赤狄の支配は厳しかったようで、中小の遊牧民族は赤狄の支配を嫌い、
「晋に付くほうがマシか」
と、乗り気ではないけれど超大国である晋との同盟を望みました。
こうして、晋は仮約束を取り付けることに成功し、会合を開くことになりました。
●じゃあ、どこで会合しようか?
晋が議長国なので、晋国内で行うべき。
まあそれが普通な気がしますよね。
その通り、晋の大臣の多くも
「国内に呼びつければよくない?こっちが議長国やし、やばい時期やから」
と言いました。
しかし
この時、宰相である郤缼(げきけつ)という人は
「この厳しい時期だからこそ、頑張って努力することが大事。努力をすれば、成果はでるもの。こちらから出向こう。」
と言って、景公(晋の君主)と一緒に出向きました。
この行動に感激した中小の遊牧民族は、晋に厚い信頼を置くようになりました。
●同盟の成果ははたして・・・?
こうして強固な同盟を晋は結び、北の守りを固めることができました。
そしていよいよ翌年紀元前599年。
晋は楚と
「邲(ひつ)の戦い」
と呼ばれる、世界の覇権をかけた大会戦を行います。
しかし、この大会戦で晋は全軍のほぼ半数を失う大敗を喫しました。
この後、影響力を失った晋は傘下の同盟国を次第に失うことになりました。
※しかし、晋に信頼を寄せた中小の遊牧民族は晋を見限らず、北の守りを維持し続けました。
(※このような残っていませんが、弱体化した晋に赤狄が侵攻した記録が敗戦後2年にわたってないということは、おそらく・・・)
●結論
これは、晋の「自ら出向く」という努力行動が、「敗戦しても見限られず、晋を信じて守ってくれた」という絶大な成果として現れたということなのです。
つまり、
「つらい・しんどい時期に一歩多く努力すれば、その成果は非常に大きな成果として返ってきた」というわけです。
歴史に ’’if’’ はありませんが、
もしあの時、晋が普通通りに会合に諸族を呼びつけていれば、おそらく見限られて滅亡していた可能性も大いにあります。
だから、つらい・しんどいと思うときこそ、少しでも頑張って努力してみませんか?
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。<(_ _)>